お祭り男とまさかの再会
2019.06.25 Belgrade, Serbia
ベオグラードは、路上ライブが多かったです🎵
バイオリンのClean BanditのRockabyeがめちゃくちゃかっこよかった、今でもすごい覚えてる😌✨
ナターシャとは、この広場でお別れです。たった2日間だったけれど、とっても濃い時間でした。間違いなく一生忘れないです。こういう人との出会いが自分をつくってるんだと思う。ありがとうナターシャ、きっとまたどこかで会おうね〜☺️
🐥🐥
この日の夜にベオグラード出発なので、時間までは街をプラプラしたりカフェでゆっくりします^ - ^
せっかくなので、テラス席です🌼紅茶を頼むと、ビスケットがついてきました🎵
店員さんも愛想が良かったです❣️
さて、このカフェでしばらくゆっくりしていたのですが、ある人がベオグラードにいるという情報が入りました。特にスケジュールを合わせた訳でも何でもないのに、ほんとに偶然同じ街にいる模様。
連絡してみると、たしかにベオグラードにいました。こんな場所で近くにいるなんてすごいな(笑)連絡取りつつも会おうとはならなかったのだが、場所を確認すると徒歩15分くらいのところにいることが発覚(笑)ベオグラードもまぁまぁ広くて、東京にいるよーってなって、え、徒歩15分のとこにいるんだけど!ってなったかんじ?笑 せっかくなので会いに行くことになり待ち合わせ場所に向かうと。。。
おっ!
おおおっ?!
おーーー!!!!!
えーじくんや!!!えーじくんがおる!!😂👏
えーじくんは、私たちが世界一周で初めて出会った旅人です。タイからミャンマーの陸路国境越えのときに出会い、共にしんどい国境越えを乗り越えた後に一緒にヤンゴン観光しました!
懐かしい〜🥺✨
で、その後それぞれの道を歩み、たまたまベオグラードで会えたわけです(笑)もっというと、実は旅の終盤の南米ボリビアにて、またまた会うんです。ちょーたまたまです。もはや運命感じる笑
で、なんで松葉杖なの?って話です笑
なんと、イングランドのクーパーズヒルというところで毎年開催されているチーズ転がし祭りに参加したときに骨折したんだって😂😱
チーズ転がし祭りといえば、イッテQでお祭り男宮川大輔が参加したお祭り!これに参加して、日本人初の1位を取りたかったみたい。でも、イッテQ見た人はわかると思うけどチーズ転がし祭りってチョー危険なんだよね😱 大勢で急な坂を駆け降りてチーズコロコロするというか自分がコロコロ転がっちゃうかんじ!
それで骨折しちゃって、ブルガリアの病院に入院してたらしい🙄えーじくん保険も入ってなかったし、インスタ見ながら私とマミはいっつもえーじくんの心配してたw
こんな状態じゃバックパックしょえないし貴重品狙われそうでこわいよね。他にも、イギリスで野宿してたら襲われて貴重品取られたこともあったみたい😱色々大変だったろうけど、いつも元気爆発ってかんじなのよねこの子。すごい。私なら泣いて帰国してる笑
とりあえず元気そうでよかった(^ω^)
告知ですが、えーじくんももう帰国していて、現在は旅本の作成をがんばってます!世界一周で出会った旅人77人に声をかけていてそれぞれが1ページを作成するそうで、マミと私も参加させてもらってます(^ ^)
来年にはできるみたい!楽しみ楽しみ👏
あ、そうそう。このあと南米ボリビアでまたまた再会したと言ったけど、最後の最後にペルーでロックダウンになり1ヶ月過ごした時えーじくんもペルーにいたのw 不要不急どころかスーパー薬局銀行行く以外で外出したら逮捕だったからこの時は会えなかったけどね笑 ほんと、なんなんでしょうかこの縁は😂
思いがけず会えてよかったよ〜またね〜*\(^o^)/*
🌏えーじくんインスタ
https://instagram.com/eiji828momo?igshid=1nz44d5q7k0n7
🌏旅本のインスタ
https://instagram.com/_earth_77_?igshid=6jpaxrh8vxj0
コソボ紛争の真実から考えたこと
2019.06.25 Belgrade, Serbia
これは、コソボ紛争の時に受けた空爆によるものです。この惨劇を忘れないため、二度と起きないようにするために、爆弾で崩れた建物はそのままの状態で残されています。
コソボ紛争は複雑だし、立場によって見解が異なるため説明が難しいですが、私なりに整理した内容をお伝えします。
ユーゴスラビア解体の過程で起きたユーゴスラビア紛争(1991年ー2001年)では、バルカン半島各地で紛争が頻発していました。そのうちの一つが、コソボ紛争です。
コソボ紛争は、独立を求めるアルバニア人勢力と、独立を認めないセルビア人勢力の対立です。
もともとセルビアの一部であるコソボのエリアにはセルビア人が多く住んでいました。しかし、17.18世紀頃にオスマン帝国がバルカン半島を征服していくなかで、セルビアの南側にあるアルバニアからアルバニア人ムスリムを移住させ始め、いつしかコソボに住む人口の9割がアルバニア人となりました。
先の写真は、1999年のコソボ紛争中にアメリカ率いるNATO(北大西洋条約機構)が行った空爆、アライドフォース作戦の時に落とされた爆弾によるものです。NATOは、セルビアがコソボのアルバニア人に対して行っていた民族浄化(虐殺や強制移住などにより、ある特定の民族を殲滅させること)を非人道的だとし、アルバニア人を守りコソボの独立を果たすことを大義名分とし、セルビアを攻撃しました。主に政府機関やテレビ局など国にとって重要な建物を破壊していきました。
ナターシャは、この空爆の経験者でした。
NATO軍の戦闘機がくるとサイレンが鳴り、家族と共に防空壕へ隠れていたそうです。いつ死ぬかもわからず怖かったと。
この空爆で使用されたのは、放射線爆弾だったそうです。アメリカは新しい爆弾の効果を測りたかった。そのためにもセルビアと戦争をする大義名分を作り上げ、新作の爆弾を落としたとナターシャは言います。
セルビアでは、この爆弾の放射線によるガンが増えているそうです。
さらに、コソボは地理的に好条件のため、アメリカはコソボとセルビアを喧嘩させ、コソボをセルビアから独立させ、コソボを支援することでアメリカに利益をもたらそうとしていると。
たしかに、コソボは鉱物資源が豊富です。ヨーロッパ最大級の亜鉛鉱山があり、その他にも銀や鉄、石炭などが産出されます。また、セルビア人と同じスラブ民族であるロシアは、セルビアへの攻撃には反対していました。これは私の推測ですが、対ロシア対策としても、コソボが独立してアメリカと良好な関係を持つことはアメリカの利益であると考えたのかもしれません。
「セルビアはコソボに対し残虐な民族浄化を行なっている。これは許されることではない。コソボの独立を認めないならば、NATOはセルビアを攻撃する。」
最もらしい大義名分です。
ですが、現実はどうだったでしょうか。
1980年代、アルバニア人の一部が、ユーゴスラビアからコソボを独立させることを目的とした武装勢力を結成し、拡大していきました。もともとオスマン帝国がバルカン半島に進出する際、アルバニア人ムスリムをコソボに移住させていたこともあり、この武装勢力はイスラム原理主義を掲げていたそうです。そして、この勢力は過激な「コソボ解放軍」となりました。
コソボ解放軍は、ユーゴスラビアの警察官やセルビアの一般国民を攻撃、殺害、強姦、強制移住させました。コソボに住んでいたセルビア人はコソボから追いやられてしまいました。
コソボ紛争当時のユーゴスラビア大統領は、アメリカや西欧諸国と仲が良くありませんでした。そのため、コソボ解放軍を攻撃すると、「アルバニア人を迫害している」と非難されることはわかっていました。ユーゴスラビア政府は、アメリカや西欧諸国との衝突を防ぐか、国民や国土を守るかの選択を迫られ、結果後者を選択したそうです。
アライドフォース作戦の空爆が始まったのは、NATO側が作成したセルビアとコソボの和平交渉文章に調印しなかったからです。調印期限直前にアメリカが出した付属文章にはこう書かれていたそうです。
「コソボのみならずユーゴスラビア全域で、NATO軍が展開・訓練でき、なおかつ治外法権を認めよ。」
この文章が公表されたのは空爆後。これにはNATO側の一部の国からも問題視する声が上がったようです。
これらの事実を知ると、NATO軍、特にアメリカが自国の利益の為にセルビアとコソボの対立を加速させ、セルビアを悪者にして起こされた戦争により多くのユーゴスラビア、セルビアの国民の命が奪われたことがわかります。
一方で、セルビアが潔白であるわけではありません。コソボにアルバニア人が増えてから、アルバニア人に対する差別がありました。アルバニア人はアルバニア人であることが理由で職につけなかったり、役所ではセルビア語でないと受け付けてもらえなかったりしていました。ユーゴスラビア連邦崩壊の危機が高まるにつれ、セルビアではセルビア人の利益を第一に考える民族主義を唱える人が増え、アルバニア人が不当な理由で逮捕されたり、拷問されたり、殺されたりする事件が多発しました。これによりアルバニア人の中でコソボ独立を目指す動きが高まり、一部が過激化していったのは事実のようです。
どちらが良い、悪いを言いたいわけではありません。
恥ずかしながら、ユーゴスラビア紛争やコソボ紛争についての知識はほぼありませんでした。なんとなく、民族の対立が原因で起きた紛争なんだなと思っていたくらい。だけど、ナターシャと友達になり、この紛争の被害者であることがとても衝撃的で、この問題が遠い国の自分には全く関係のない出来事ではなくなりました。
そして、この問題も、アメリカや一部の西欧諸国の利害関係により左右されている。元々民族問題はあったものの、彼らの利益の為に利用されて生まれてしまった戦争であることにもまた、衝撃を受けました。
世界では、同じような理由で戦争が起きています。中東のパレスチナ問題だってそう。インドパキスタン戦争だってそう。強国の利益の為に、対立を煽られ、破壊された街、犠牲になってきた多くの命があります。その事実は、知っておかなければならないと思います。
ナターシャは日本に留学していましたが、「日本のメディアはアメリカを良いようにしか言わないよね。他の国もそう。アメリカには何も言えないよ。セルビアは反発するから、嫌われるんだよね。」と言いました。
戦争を起こすのは、政府の独断とは限りません。メディアに煽られた国民世論が、戦争を引き起こします。
外交問題、選挙のこと、コロナのこと、何でもそうだけど、ひとつの偏った情報を鵜呑みにするのではなく、「誰かの都合の良いように発信されているのではないか?」「反対意見の人は何と言っているのか?」と、きちんと調べたり自分の頭で考えることがどれだけ大事なのかを、セルビアを訪れ、ナターシャに出会い、コソボ紛争について学んだことで痛感しました。
最後ですが、コソボは現在も正式な独立はしていません。90ヶ国ほどが独立を承認していますが、80ヶ国ほどが反対しています。国連安保理のロシアと中国が反対している為、独立は難しい状況です。西欧諸国の中でも、スペインは反対しています。自国でもカタルーニャの独立問題を抱えているためでしょう。
皆さんもうおわかりかと思いますが、日本は承認しています。いつでもアメリカ側ですからね。
前回紹介したバスを覚えていますでしょうか。
このバスは、ユーゴスラビア紛争と国際社会からの経済制裁で疲弊したセルビアに対し、日本が無償提供した93台の新車バスです。これらのバスは、日本を意味する「ヤパナッツ」の愛称で知られ、今でもベオグラード市内を走っています。
コソボ独立を認めつつも、せめてもの支援をするあたり、日本らしいなぁと思います。
以上です。きれいにまとめられませんでしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでもコソボ問題について学びがあったり、思うことがあれば、幸いです。
破壊されたままの放送局
2019.06.25 Belgrade, Serbia
ドバルダンっ🌞
2日目もベオグラードを周ります!
キオスクでバスの1日券を購入しました。
セルビアの通貨は、ディナール。1ディナール、大体1円!バスの1日券は250ディナールなので、約250円です。物価安め🙏
現れたバスになんと、JAPANの文字が!!
日本が寄付したバスのようです。こういうの見つけると嬉しくなるよね( ^∀^)🎵このバスにまつわる話については、この後のブログで改めて紹介したいと思いますので、覚えててね😉
こちらはベオグラード駅。古い鉄道駅で、今は閉鎖されています。
他国とも繋がる最も大きな駅でしたが、現在ベオグラードでは大規模な都市計画がなされているそうで、その一環でこの古い駅も閉鎖となりました。今は新しくできたベオグラード中央駅が代わりを担っています。
街は緑が多いし、綺麗です😊お洒落なカフェやレストラン、雑貨屋さんが並んでいました!
こちらはドーナツ屋さん!お姉さん美人〜❣️
続いてケーキ屋さん!(あんまりおいしそうじゃ、、笑)
(トマトみたいなのは一体何??w)
さてさて、お目当てのアイス屋さんですよ😍
いつもいつも選ぶのが大変🥺
オーガニックアイスというのもありました。日本ではあまり見かけないけど、ヨーロッパではよくあります^ - ^オーガニックと言っても幅が広くて、添加物無しでもオーガニック、牛乳不使用だけでもオーガニック、拘りまくれば卵やバターなども使用せず植物性オンリーで作られているものも。
ナターシャはベジタリアンなので、オーガニックを頼んでいました🌼私は非オーガニックです(^.^)チョイスも王道のミルクとチョコレート!
ただのミルクとチョコではなく、ナントカミルクとナントカチョコです!そそられるやつ笑 ナントカがなんだったか忘れたけど、滑らか〜で美味しかった🙏💕
続いてスーパーに寄ります。海外スーパーは見てるだけで楽しい😆
海外では主流の量り売り!
セルビアで定番だというサイダーを購入。
久しぶりのお酒です!
ちなみに案内してくれているナターシャですが、実は日本語がぺらぺらなの!日本が好きで、数年前に日本に留学してたんです。あーうん、そうそうそう。とかなんかねー、とか相槌まで日本人だったな🤣👏街を歩きながら、セルビアやベオグラードのいろーんなことを教えてくれました。写真が好きじゃなくて全然撮れなかったのがざんねん!ゆいいつ一緒に写ってくれた写真は貴重だな☺️載せれないけどね😂
街を歩いていて突如現れたのが、こちらの建物。
一部が崩れてる。ああ、これか。戦争の傷跡は。
十数年前まで国営放送局だったそうです。
この後、ナターシャから衝撃的な話を聞きました。
ベオグラード街歩き
2019.06.24 Belgrade, Serbia
ドバルダンっ👋
セルビア語のこんにちはです。ドバルダン!言いやすい(。・ω・。)
セルビア滞在は2日間しかないので、到着したのは夕方ですが早速街に繰り出します!
ベオグラードの中心地に向かう途中で現れたのがこちらの政府宮殿。ユーゴスラビア時代から政府機関として使用されていて、今も省庁だそうです。
宮殿とは言えないくらい質素。一昔前っぽいというかなんというか。人の気配も全くない。。
こちらはサバ川です。サバがいっぱい泳いでるわけではありません🐟
この辺りは、戦争の最前線だった場所だそうです。地図は、こんな感じ。
このドナウ川はヨーロッパで2番目に長い川で、ドイツから東欧諸国まで10ヵ国に渡り流れています。この川から他国が侵入し、大戦争島(すごい名前。。)に身を潜めてから要塞を攻撃してきたそうです。
壮絶な歴史を乗り越えてきた場所です。
こちらは、ベオグラード中心地の共和国広場。
左の建物は国立博物館です。ライトアップしてて綺麗🎵
3人ともそんなにお腹が空いていなかったので、夜ご飯はパン屋さんで済ませます。
美味しそうだけど、形が違うだけで同じ種類に見える笑
この長〜いデニッシュパンが定番みたいです。中身は、お肉とか芋とか野菜とか色々!
この長〜いのの牛肉を食べました。めっちゃ油ギットギトでぜんぶ食べられませんでした(・ω・)
ベオグラードの銀座です(個人的イメージ)!お店がたくさん並んでいます。
スーベニアショップ可愛いです。
ウォールアートもチラホラあって、歩いているだけで楽しい✨
文明が自然を破壊するの図。人間が木を食べようとしてます。歯がビル!
これは暗いからちょっと怖いm(._.)m
カレメグダン公園を通って、ベオグラード要塞へ向かいます。
公園の机がチェスボードになっていました!
おじさん達が実際にチェスやってます😄しゃれとるわ〜👏
要塞に到着です。
かっこいい✨
こちらのベオグラード要塞は、なんと紀元前から存在するそうです。そんな遥か昔からこの街を守ってきたんですね、、、想像もつかない!すごすぎ!
第一次世界大戦以降実際に使用されていた戦車です。暗くてよく見えませんが、たくさん並んでいました。
私たちが好きな恐竜もいました。
、、、これに関しては、なぜ?w
そして!まるでホーンテッドマンションのような銅像が✨✨✨
今にも歌い出しそう!歌ってくれ!笑
セルビアに貢献してきた偉人らしいです。
こちらは、この要塞の1番高い場所にあるシンボル。
長い間オスマントルコに支配され、苦しい第一次世界大戦を乗り越えたのちに独立したセルビア。独立を記念して建てられた勝利の像だそうです。
(でた、オスマントルコ!ギリシャもそうですがセルビアもオスマントルコに支配されていた地域です。ほんとに強かったんね)
像がある広場からはドナウ川を一望できました。とっても綺麗でした✨歴史を想いながら眺めると、切なかった、、、( ´ ・・ ` )
1日目の街歩きは、ここまで!帰宅すると尻尾を振って出迎えてくれてもうド癒し!ただいま〜☺️🌼
私達のベッドにドヤ顔で居座ってる🤣❣️
明日もベオグラード満喫するよーっ٩( 'ω' )و
ギリシャからセルビアへ
2019.06.24 Athens, Greece → Belgrade, Serbia
ギリシャのアテネから、セルビアの首都ベオグラードまで飛行機で飛びまうす✈︎
アテネの宿、スパルタチームホテルの1階にあるコンビニのおじさんです。
お水とバナナしか買わない私たちへの愛想は良いとは言えなかったけど、何度も行くと「おお、来たか」って感じで対応してくれて結構お気に入りでした笑 また来るね〜👋
来た時と同じように、シンタグマ広場前から空港行きのバスに乗ります🚌
私たちの子達が埋もれている笑
空港に着いたら、プライオリティパスでラウンジを利用します⭐️
節約生活なので、ラウンジでたんと食べます笑
でも、このパイみたいなの、羊だった😱最後まで受けるギリシャ羊の洗礼。
飛行機に乗り込みます!利用したのは、ギリシャ最大の航空会社、エーゲ航空です🎵
アテネからベオグラードは、直行便で1時間40分くらいです。一瞬!
お隣の席に天使発見☺️こちらを見てキャッキャしてくるし、ママもこちらに笑いかけてくれてめちゃくちゃ癒された〜☺️☺️
ほんとに一瞬で到着。飛行機が着陸した瞬間に皆さん立ち上がり荷物を取り出そうとし始めて、マミと2人して目がテンテンです。これもカルチャーショック笑
荷物受け取りのところです。
荷物が車からどんどん出てくる( ^∀^)!かわい〜❣️
さて、実はこのベオグラードでは、待っていてくれている人たちがいました。
なんと、マミのお友達のお友達がベオグラードに住んでいるので、お迎えにきてくれていたのです!!
名前は、ナターシャ🌼荷物を受け取って出口に出ると、ナターシャとご両親がいました。はじめてのご挨拶に、ハグ!キス!ハグ!こんなに日本から遠い未知の国で待っていてくれる人がいるなんて安心すぎました。すごくホッとした(*^^*)
さらに、ナターシャのお家が観光地から離れているため、ナターシャのお友達の彼氏がお家に泊めてくれるというではありませんか!!しかも、彼女さんは予定が合わず来れないけれど、ナターシャも彼氏さん家に泊まってくれるという!🤣
なんかややこしいけど、とにかく皆さん総出で助けてくれます。ありがたい。本当にありがたい!!
ナターシャは写真がきらいなので写ってないけど、ご両親がこちら♡
見ず知らずの私たちを暖かく迎えてくれてなんて優しいの( ;;)素敵なご両親でした。
ナターシャのお友達の彼ピーのお家に到着すると、そこにいたのは、、、!!!
な!!!!?
わわわんこ!!!!😂😂😂嬉しすぎるサプライズ😍❤️
お家もお部屋がいくつかあって広々〜素晴らしい〜
とにかく皆さんが親切にしてくれてわんこにも会えて、それだけでセルビアにきて良かった〜って思いました🥺✨
未知の領域、東ヨーロッパ
2019.06.24Athens, Greece
やーさす!ギリシャ前半戦がおわりました。次は、東ヨーロッパの4つの国をぐるりとまわります✨東ヨーロッパといっても、南の方!バルカン半島です。
ここらへん!
訪れるのは、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニアの4カ国。それからギリシャに舞い戻る予定です🐥
こーんなかんじで、ギリシャからセルビアまで飛行機で飛び、そこからボスニア→モンテネグロ→アルバニア→ギリシャと南下。ここはバス移動です🚌
このあたりは本当に情報が少ないし、英語も通じなかったりGoogleマップも使えないエリアがあるようなので、不安だらけワクワクだらけです😂😂
なぜこのエリアを周ろうかと思ったかというと、未知だから!そしてこの機会に行っておかないと、これから先行くことはなかなか難しいと思ったから!
本当はルーマニアとかブルガリアとかも行きたかったけど、スケジュールやお金や地理的な面など考慮してこの4カ国になりました。
アテネからセルビアの首都ベオグラードまで、航空券2万円ですよ!即決だよね👍世界一周中、こうしてルート決まっていったよ😂
このバルカン半島は、民族や宗教、文化などが複雑に入り混じっていて、戦争が頻発してきたエリアです。「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていたのをご存知の方も多いと思います。
ユーゴスラビアの内戦は1991年から2001年まで続き、2020年のいまもコソボの独立をセルビアは認めておらず、この問題は完全に解決してはいません。
このバルカン半島の歴史について、実際に訪れて知りたいと思ったのも、訪れた大きな理由です。
ちなみに4カ国のなかで旧ユーゴの国は、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ。モンテネグロとギリシャの間にあるアルバニアはかなり独特で、日本と同じく鎖国経験があり、周辺国とは一線を引き独自路線を走ってきた国のようです。
いま思うと、それぞれ1都市ずつしか行けなかったので一概には言えないけど、連邦とはいえ同じ国だったとは思えないくらいそれぞれのカラーがありました^ - ^
全体としては社会主義の雰囲気が残っているし、戦争の跡も生々しかった。数十年前から時が止まっているような印象を持ちました。
普段の旅行では感じられないものがあったなーと思います。
それでは!次回はセルビア編に突入です!🇷🇸✈︎
アテネの見どころ総ざらい!
2019.06.23 Athens, Greece
ヤーサス( ͡° ͜ʖ ͡°)✴︎
ヤーサスにも慣れてきましたな笑
さて!アテネにはパルテノン神殿以外にもたくさん見どころがあります。さらさら〜と紹介します🤗
★新アクロポリス美術館
アクロポリスの麓にあります。アクロポリ駅から徒歩1分です。
パルテノン神殿に行った際にアテネ遺跡の観光チケットを持っていたので、これでいけるやろーと思っていたら、こちらの美術館は対象外でした😭確認不足😭料金はうろ覚えですが10€くらいだったかな!
こちらの美術館には、アクロポリス周辺の出土品が展示されています。
入場後すぐに現れたのは、エレクティオンの女神達。
パルテノン神殿の目の前にあったエレクティオン神殿の柱の女神達です。
これです。実はこっちがレプリカで、美術館の方が本物!🤣
6体あって、新アクロポリスには5体。もう1体は、大英博物館にあるそうです。(他にも大英博物館に取られっぱなしのものがたくさんあるらしい。。)
こちらは屋根飾り。神話感満載!
フクロウとヘビちゃん。アフレコ入れたくなる笑
供物を運ぶ人々。
沈思のアテナ。
こちらはパルテノン神殿のてっぺんに彫られていたものを再現しています。
左上に人がいると思います。端っこだけ辛うじて残ってるんですねー。
表と裏で2種類あったようです。こちらは、アテナの誕生を表してます。
右側の女性がアテナ。アテナの前がゼウス。2人の間にいるのがゼウスの頭をカチ割った天使です。前も紹介した通り、ゼウスが頭いたーい!と言って頭カチ割ったら生まれたのがアテナです笑
こういうの見ると、変な人いないか探しちゃう笑 アテナの後ろのおじさんとかだいぶ気になる笑
こちらは2つ目。左がアテナ、右がポセイドンです。
アテネの地の守護神の座を巡った戦いを表してます。
戦いといっても、至って平和です。「この地の民のためになることをしなさい」というお題に対し、ポセイドンは海水の泉を生み出し、アテナはオリーブの木をたくさん生やしました。神々の審議により、アテナが勝利したそうです^ - ^
この他にも古代ギリシャのものがたくさん展示されていて見応えばっちりでした!
★古代アゴラ
私たちの最寄、モナスティラキ駅から徒歩3分ほどにある古代アゴラ。市民が集まる広場で、政治、文化、宗教の中心だったそうです。
ソクラテスもこの広場を歩きながら哲学を説いていたそうな!
この建物は博物館になっていますが、古代アゴラはめーちゃ広いです。外も遺跡のようになっていますが、ぽつりぽつりと壊れた彫刻がある感じ。暑過ぎだったのでしっかり周りませんでした😂🙏
★ケラメイコス
古代アゴラから徒歩15分くらいのところにある、ケラメイコス。紀元前三千年頃から墓地だった場所です。
周りの雰囲気はこんな感じ🌼
入り口に牛が描かれています。中にも、墓地なのになぜか動物がちょこちょこいました🎵
たしかに墓地っぽい雰囲気。
こちらも広ーーいです。
牛とわんこかな🎵テンション上がります。
建物の中は博物館になってます。
動物系はかわいくて好きです。
さて、次の目的地への通り道に、、、
おおおお!第1回オリンピック会場!
マラソンイベントやってました😆
ここには、2度目のアテネの時にまた来ます🎵
次の目的地まで進みます。広い広いアテネ国立公園を横切っていると、、、
あ、また聖なる人(というか騎士)発見👀
当たり前のように歩いてて笑える🤣
さらに進むと見えてきたのはこちら!
一見ただの門ですが、2世紀に第14代ローマ皇帝のハドリアヌスさんのために作られた、ハドリアヌスの凱旋門です。
こういう数千年前のものが、あちらこちらに存在しているアテネすごい。現代の日常が古代と繋がってる!
猫ちゃんもいます🐈🧡
★ゼウス神殿
目的地に到着!どーん!
こちらは、ゼウス神殿。オリンポス12神の最高神、全知全能の神ゼウスに捧げられた神殿です。紀元前6世紀に建設が始まったものの、色々あって完成したのは紀元後2世紀。先ほどの凱旋門のハドリアヌスさんが完成させました。
その後も戦争や宗教弾圧など大変な状況を乗り越えたきた神殿です。
たしかになんか、歴史を感じるというかオーラを感じます。。マミは、パルテノン神殿よりオーラあるって言ってました!
とっても、大きいです。
この壊れた感じが切ない。。不完全て、完全な物にはない良さがあるなぁとしみじみ感じます。
堂々としていてかっこよい神殿でした✨
最後の目的地へ向かう途中、可愛い光景が🥺💓
海外の広場でよくあるシャボン玉!癒される〜🌼
まわりの子どもちゃん達にも癒される〜🌼
可愛すぎや、、😭🌷
保護者ばりに写真撮りまくり。勝手にごめんなさい😂🙏
はぁーーかわいかった(*^^*)♡
さて、最後の目的地は、アクロポリスです!
そうです。2度目です✌️実は、アクロポリスの丘はアテネの街を一望できるスポットがあるのです✨夕暮れどきに行きました!
すぐ目の前に、パルテノン神殿。
アテネの街です✨
めちゃ綺麗です。刻一刻と空の色が変わっていきます。
さすがアテネ。向こう側にまるでディズニーシーのプロメテウス火山のような丘が見えます。
頂上の建物はきっと神殿か教会でしょう。
日が暮れてくると、パルテノン神殿がライトアップされました。
お、おや?笑 緑のライトいらん!😂
真っ暗な中にパルテノン神殿が輝いていてちょーかっこよいです!写真はうまく撮れなかったけど、夜景もすーごく綺麗でした🌙✨
以上、パルテノン神殿の他にも見どころたくさんのアテネでしたっ(^ν^)🇬🇷
これでギリシャ前編は終わりです。いよいよ東ヨーロッパの奥深くへ参ります\(//∇//)\