自炊生活ときどき外食
2019.07.02 Kotor, Montenegro
コトルは物価高めなので、自炊してました🍳
宿から5分くらい降りたところにあるスーパーで買い出しします^ - ^
整然としてる!
これこれ、このchipsy ってポテチが美味しいの🤗笑 スーパーの他の写真ないのにポテチの写真はしっかり撮っていた(`・ω・´)
卵やらお肉はもちろん、お米やお茄子、白菜をゲットしていたみたい!日本から持参した調味料で作ったのは。。
親子丼!♡
ナゾなジャガイモ炒め!
そしてそして。。♡
白菜と豚のミルフィーユ鍋🤤❤️
コトルで鍋が食べれるなんて😭これは美味しすぎておかしくなった🙏海外って白菜あんまり売ってないんよ!貴重だった〜🥺
次の日はしっかりおじや♡
深いお皿ないからちょっと様子変だけど、もちろん美味でした♡
クッキーもうまかた🍪
海外ではなぜかお菓子パクパク食べても大丈夫という気になる。実際ぜんぜん大丈夫じゃないんですが🐽
そんなにたくさんではないけど、港沿いにレストランやカフェが並んでます。
どこもかしこも高かったイメージ。
せっかくなので一度だけレストラン行きました!
パスタは18ユーロくらいだった気が。
こちらはタコ唐、マッシュルーム、ズッキーニかな!
感動するほどではないが普通においしかった!ほんとはエビとか新鮮な魚介類が食べたかったけど、高くてむりよ🥲
だけど、綺麗な景色とレストランでオシャレランチできて満足でござる(^ω^)🎵
うん。コトルご飯のMVPは、間違いなくミルフィーユ鍋ですな😍
世界一美しい湾
2019.07.01 Kotor, Montenegro
モンテネグロの由来は、モンテ(山)ネグロ(黒)で、黒い山です。でも、実際は白いです。
ね、白いでしょ!モンテシロだよね!
この山が、本当に美しかったです。この旅でも特に印象深いくらいです。私こんなに山みてるの好きだったっけ?って思っちゃった!
そして、この山々を目の前にしてすぐ後ろに振り返ると、今度はキラッキラの湾が目の前です。
ま、まぶしい、、、🥺✨✨✨こんなに綺麗なブルーあります??
もはや絶景サンドイッチです。
アドリア海に面したコトル湾は、世界一美しい湾と言われています。この辺りのクルーズ船が立ち寄ることが多く、常に大型客船が行き来していました。ちっちゃいボートも並んでるけど、、、
こちらです。
なんとラグジュアリーな(´⊙ω⊙`)貧乏バッパーの私達からしたら遠い世界の貴族にしか見えませぬ😇
港だけど、ビーチもあります⛱
砂浜ではなく、石コロ。石浜?マンマルツルツルの石ころだから裸足で歩いても全然痛くないです。
脚に絡まるワカメも昆布もない、割れた貝殻も木の枝もない。もちろんゴミもない。。むっちゃ綺麗😭🙏✨
おばちゃんかっこよすぎ!笑
私たちも泳いだりビーチでのんびりしましたよん( ^ω^ )
コトルは山の上に城塞があって、頂上からコトル湾を一望できるんです。
それがものすごく綺麗だった🥺✨✨
それについてはまた今度😉
コトルの宿
2019.06.30 Kotor, Montenegro
またまたご無沙汰ですすんません(^ ^;)仕事しかしてないのに日々が一瞬で過ぎてまいます。。
はやく書かないと旅のこと忘れちゃうよ〜〜まだ半分も行ってないどころかゆーたら序盤ですよ笑 でも、写真見返すと記憶が蘇ってくるのよね。。毎日違う日々で濃かったからね。
いくら時間かかっても最後まで書き切ります(^ω^)
🐥🐥
移動中の景色はとにかく綺麗!これだからバス移動好き(^。^)
この景色ですら絶景✨
こちらのショボイ料金所みたいなところが、ボスニアとモンテネグロの国境です。
移動バスに乗ったまま、パスポート回収され、スタンプ押されて戻ってきて終わりです。
ボスニア出発から4時間半くらいで、あっとゆーまにコトルに到着!
次の行き先のアルバニアへも同じバスターミナルから出発なので、先にチケットをゲットしようと、時間を確認します。
アルバニアのティラナ行き、あった👍✨
するとタクシーの運ちゃんがどこ行くのーと声かけてきた。待って〜先にチケット買うの!と言うと「そんなん当日買いなはれ!」というので、じゃあいっか。ってことでタクシーに乗り込みます。10分の距離で5ユーロ。
こーんな道を通ります。のどかです🌼
10分ほど走って、宿にとうちゃーく!
こちら、Airbnbで予約しました★もしかしたらこの旅ではエアビーお初かも!エアビーはちゃんと選べば綺麗だし安いから、この後めちゃくちゃ利用するよ(^ω^)
素敵なご夫婦に出迎えられ案内されたお部屋がコチラ!
きれーっ✨ボスニアがドミトリーだったからテンションあがる!ベッドは無くてソファで寝るんだけどまったく問題なすび。キッチンも充実してるっ
おトイレは三角で変な感じ!
テレビではマラドーナみたいなおじさんが永遠に歌ってる!
ウェルカムスナックも🎵
(手前のポテチとクッキーはスーパーで買ったやつ🐽)
これで、3泊で105ユーロ。1人1泊17ユーロくらい。バックパッカーには高い😱でも、モンテネグロは東ヨーロッパでは物価が高めで、とくにコトルはごりごりの観光地。なのにちょうどいいホステルも公共交通機関もない。色々考えると仕方ないのよねん!長居もしないから良しとしましょう👍
お家を出たところからの景色に癒されます😊
そうなんです!!!(急にね笑)
コトルは、綺麗な港と白い山の街なんです🥺❤️✨✨
もうね、たまらんかったよ😂✨
ミャンマーのクーデター
こんにちは!お久しぶりのブログです🐽
モンテネグロに突入する前に、今月1日に起きたミャンマーのクーデターについて。
世界でいちばん人が優しかったミャンマーが大変なことになっています。日本のメディアでは残念ながらもう取り上げられなくなっているけど、今も国軍により一般市民、医療従事者の方々が不当に逮捕、拘留されています。
ご存知の方も多いと思いますが、経緯などを簡単に説明します。
ミャンマーは中国、タイ、ラオス、インド、バングラデシュと国境を接している多民族国家で、王朝を築き侵略したりされたりの歴史を繰り返しました。
1800年代には、インドを支配するイギリスと対立し、3度も戦争をしましたが敗北。
そのイギリスとの第二次戦争では国土の半分を失い、イギリスの息がかかった新王国では民族により身分を決められ、ビルマ人は最下層の農奴となりました。これが民族対立の温床となります。(またというかやっぱりイギリス。)
第三次戦争ではついにイギリス領インドに併合されます。
ビルマ人の対英独立運動は第一次世界大戦の頃から始まり、1948年にアウンサンスーチーさんの父、アウンサン将軍の指揮の元、ミャンマー(当時はビルマ国)は独立を果たします。この時は民主制を採用していました。
しかし1962年、軍事クーデターが起こり、国軍が政権を握りました。
その後1988年、学生を中心とした民主化運動の先頭にアウンサンスーチーさんが立ち、NLD(国民民主連盟)が結成されました。
90年の総選挙でNLDが圧勝するも、軍は政権移譲を拒否、民主化運動を弾圧した上に、スーチーさんの国民人気の高まりを恐れ、スーチーさんを15年間ものあいだ軟禁します。
2010年、欧米からの圧力により20年ぶりの総選挙がスーチーさん不在で実施され、軍政権の勝利。(民主的社会を謳っていた模様)
2015年の総選挙ではNLDが圧勝し、スーチーさんが国家顧問兼外相となり事実上の国のトップとなります。
2020年11月の総選挙でもNLDが圧勝。そして今月1日、不正選挙を大義名分とした軍事クーデターが起きました。スーチーさんは再び軟禁されています。
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スーチーさんはミャンマー国民にとって、民主化のために国軍と戦ってきたヒーローです。私たちがミャンマーを訪れていたとき、スーチーさんのTシャツや帽子を身につけている人がいたくらい。
だけど、もともとが国軍有利な憲法なので、ここを変えるのは本当に難しい。今もその状況は変わらずです。
民族が調和し協調できる民主的社会の確立に貢献したとして1991年にノーベル平和賞を受賞したスーチーさんですが、強権的な政権運営が目立ったり、ロヒンギャ問題もあり、国際社会からの批判もあります。
(ロヒンギャ問題は、ミャンマー西部のイスラム系少数民族に対するミャンマー国軍による暴力や強制移住で、70万人のロヒンギャ難民がでている問題。解決できないどころか何も対策していないのでは?と、スーチーさんは国際社会から非難されています。ですが、軍、警察、国境については法律上国軍が握っており、スーチーさんは動きづらい状況。そして悲しいことに、ロヒンギャはバングラデシュ方面からの不法侵入民族として、ミャンマー国民の中でもミャンマーの一民族として認めない風潮があります)
ですが、独立から約50年続いた軍事政権の社会で、何の罪もない市民が強制労働、強制移住させられたり、不当に逮捕、拷問されるなか怯えて暮らしてきた国民にとって、スーチーさんは唯一の希望なのかもしれません。
そう思うと、今回の軍事クーデターが国民にとってどれだけ恐ろしいことか。もうあんな自由のない怯えた生活に戻りたくないと、必死に叫ぶ理由がわかるし、叫ぶこと自体、命懸けなんだろうということが想像できます。
今回のクーデターを受け、国連安保理では深い懸念を表明していますが、はじめ中国とロシアは慎重論を唱え、特に中国は「内政に干渉すべきでない」という立場を示していたようです。
おや?と思って調べたら、中国とミャンマー国軍は仲が良かった、、、、関係無いといいけど。
見知らぬ外国人にサッとロンジーを巻いてくれるおじちゃんやおばちゃん。無邪気に一緒に遊んでくれる子どもたち。フルーツをお裾分けしてくれるお店のおばちゃんやお客さん。小さいお坊さんに毎日お布施を渡すゲストハウスのお兄さん。
みんな元気かな。どう思ってるのかな。。
海外旅行のいいところの1つは、その国のニュースがどこか遠い国の現実味の無い話しではなくなるところだと思います。
自分には関係ない、と聞き流すのではなく、あの人は大丈夫かな、あの子達はどう思ってるのかな、あの場所がこんな状態になっているのか、、と思うし、そのニュースについて調べたくなります。
もちろんそんな事をしたところで状況は変わらないけれど、世界中の人達が「自分には関係ない」と思う世の中よりも、世界中の人達がそれを気にかけることができる世の中の方が、ずっとよい気がしています。偽善だー綺麗事だーと言われそうだけどね。
ミャンマーの人たちが安心して暮らせる日々が1日もはやく戻りますように。
ボスニアからモンテネグロへ
2019.06.30 Mostar, Bosnia and Herzegovina → Kotor Montenegro
ツドゥラヴォ🌞
悲しい歴史があったものの、現在はおとぎばなしの世界のように可愛い街なので東ヨーロッパをまわる機会があるならばオススメしたいのがモスタルです(^ω^)
綺麗なカフェもチラホラあります!
WiFi環境もグッド👍
スムージーメニューです。YUZUは柚子!キウイとパッションフルーツと、、、あとは知らんw
これで230円くらい。安い😆何味頼んだかは忘れたけど美味しかったのは覚えてる笑
スタリモストが見えるレストランやカフェもオススメです🎵私たちはUrban Grillさんに行きました。
こちらはボスニアの伝統的なコーヒーです。エスプレッソまではいかないけど、苦め濃いめです。甘いプニプニしたお菓子がついてきました。
テラス席からの景色です✨
夜のスタリモストもよかったな〜❣️✨こんなところでなんのしがらみもなく(明日仕事だ〜、とかね笑)コーヒーを飲みながらただただ景色を眺めのんびりする。。しかも明日は未知の国モンテネグロへ行くのだ。。相棒もいるから全然寂しくない。これ以上の贅沢はないよ😭
モスタルだいぶのんびりしたなん😊
最後の朝食です☀️
ディビッドとディビッドパパにお礼を伝え、出発します!
さて、次の行き先はモンテネグロのコトルという街です。バルカン半島を南下します。
バスで4時間くらい。あっとゆーまに着いちゃう!料金は2800円です。
え。笑
チケットチェック中にタバコ吸いよる😂さすがやね。日本だったら何処かのおじちゃんだかおばちゃんがクレーム入れて解雇だよね笑 窮屈やねぇ🙄
バスは時間通りに出発しました🚌
車窓からの景色に、とにかく癒されます。
モンテネグロも未知の国!たのしみ🤗
負の世界遺産スタリモスト
2019.06.27 Mostar, Bosnia and Herzegovina
こんにちは🌞番外編が続きましたが、本編に戻ります!ボスニアヘルツェゴビナ編で、モスタルの橋を思い出してください(^^)
🐥🐥
モスタル最大の観光名所であるスタリモスト(古い橋)。実は、負の世界遺産なんです。
自然いっぱいの可愛い街で、とてもそのようには見えません。
古い橋からみた景色です。このネトレヴァ川から東側はイスラム系地区、西側がクロアチア系地区。
古い橋はユーゴスラビア紛争のさなか、クロアチア人勢力により1993年に破壊されています。ただ、東のイスラム系と西のクロアチア系の単純な対立では全く無いのです。背景は物凄く複雑です。
モスタルは、大国に翻弄されながらあらゆる壮絶な歴史を乗り越えてきました。
中世はローマ帝国の一部であり、15世紀頃オスマン帝国の一部となり、第一次世界大戦頃はオーストリア・ハンガリー帝国の支配下となります。
そして1939年にはユーゴスラビア王国となり、第二次世界大戦ではナチスの傀儡政権であるクロアチア独立国の一部となります。
第二次世界大戦後はユーゴスラビア社会主義連邦の一部となり、ユーゴスラビア紛争を経て現在のボスニアヘルツェゴビナとなりました。
これでもかなり省略しています。
スタリモストが破壊されたのは、セルビアでもお伝えしたユーゴスラビア紛争の中で起きた、ボスニアヘルツェゴビナ紛争の最中でした。
パネルは、博物館のものです。
1991年、クロアチアの独立宣言から始まったユーゴスラビア連邦解体の流れのなか、モスタル含むボスニアに住んでいたボスニャク人とクロアチア人がボスニア独立を目指しました。しかし、同じエリアに住むセルビア人はこれに反対し対立します。
ボスニア政府はボスニャク人とクロアチア人を支援し、住民投票をボイコットしたセルビア人を無視して独立を宣言、ECに独立を認められます。
しかし紛争ではユーゴスラビア政府に支援されるセルビア人が優勢でした。同じ立場であるはずのボスニャク人とクロアチア人もお互い協力体制とはいえず、しばらくセルビア優勢が続きます。
1992年、どういうわけかセルビア人とクロアチア人の間でボスニアの土地分割交渉が行われ、それからはクロアチア人とボスニャク人の対立します。
両者の対立は深まり、モスタルでの戦闘が激化。1993年11月9日、クロアチア人勢力によりスタリモストが破壊されました。その後もボスニャク人はどんどん追い込まれ、大量殺戮にあいます。
1994年、セルビアの勢力を弱めたいアメリカにより両者の和解が取り持たれ、再び同盟を結びます。
その後はユーゴ政府とセルビア勢力vs NATO軍となっていき、セルビア編でお伝えした、ナターシャが経験したコソボ紛争へ繋がっていくのです。
私たちは、ボスニア紛争時の悲劇を伝える博物館を訪れました。
紛争中の写真や映像、犠牲者の遺物などが展示されていました。
こちらは、収容所の様子をあらわしたジオラマです。
ポーランドのアウシュビッツ強制収容所にも行きましたが、ナチスのやり方と同じです。クロアチア独立国がナチスの傀儡政権だった影響でしょう。あたたかい場所も無く水もろくに飲めない過酷な環境で一日中労働させられ、暴力を振るわれ、いつ殺されるかもわからない。ジオラマのように、毎日たくさんの人が銃殺される。
第二次世界大戦時ではありません。1993年のことです。信じられない。
綺麗なモスタルの街ですが、観光の中心地ひとつ通りを渡るだけで、当時の戦争の傷跡が生々しく残っていました。
壁にはたくさんの銃弾の跡。
大通りに面した建物ですらどれもこれも崩れ落ちたまま。
大きな公園へ続く綺麗な通り。
通り沿いの建物は、やはり崩れていました。
子ども達が遊んでいたんだな。怖かっただろうな。本当に悲しくなります。
中心地でも、よくよく見ると崩れた跡、焼け跡、補修された跡があることがわかります。
悲しいことがなかったかのように、景色はこんなに穏やかです。
終戦後、ユネスコの支援を受けたトルコの企業により古い橋は2004年に再建されました。そして2005年、負の遺産として「モスタル旧市街の古い橋の地区」の名で世界遺産に登録されました。
今では、他民族の共生と和解の象徴として人々の心を繋いでいます。
もう二度と悲しい歴史を繰り返さず、いつまでも美しい街であってほしいです。
世界最強パスポート
先日、イギリスのコンサル会社が2020年代初の「世界最強のパスポートランキング」を発表しました。
ビザ無し、またはアライバルビザで入国できる国数によって順位が決まるのだが、日本は191ヵ国で単独首位!!!テッテレー♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪ すごいよね。誇らしいね。使わないともったいない🥺
ちなみに2位はシンガポール、3位はドイツ韓国です。
https://www.cnn.co.jp/travel/35147754.html
あとね、最近の日本のパスポートはデザインが変わったそうで!
(外務省ホームページより)
外国のパスポートはデザインが凝っていてそれぞれの色が出てていいなぁ〜、日本も富士山とか載せれば良いのに〜って思ってたから嬉しい😆
あと、スタンプ変えよう!日本の出入国スタンプはただのマシカクとマンマルで真面目すぎるから、外国みたいに可愛くしよう(^O^)
これは私のパスポートで、上がボリビア、下がペルー。
左側はマチュピチュとチチカカ湖に行くと押せるスタンプです🎵(出入国スタンプ以外はNG説あるから内緒ね!)
最近は出入国審査も自動認証が増えてるけど、やっぱりスタンプ欲しいよね!ロボットになってもスタンプ自体は無くならないで欲しいっ🙏
あぁ〜はやく海外行きたいなぁ〜😭✨✨✨